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“高級時計製造”の本当の意味とは(それは見分けられるものなのか)?

“チャーリー、あなたはいい木を選ぶと思っていたのに。いい木と悪い木の区別もつかないの?”‐ルーシー・ヴァン・ペルト『チャーリー・ブラウンのクリスマス(1965年)』より

時間を知るための補助ツールとしてではなく、時計そのものに興味を持った人なら誰でも、当然のことながら最初に持つ疑問は「どうやってよい時計を、平凡なものやまったく酷いものから見分けるのか?」だろう。この質問は非常に不可解なもので、時計について知れば知るほど深まっていくと感じることだろう。

現代の腕時計は、安価なクォーツ製を除いても価格帯や品質には無限の広がりがあるように見える。価格が上がれば品質も上がると考えられるが、それはどういうことなのだろうか? スティール製で防水性を備えた自動巻きの時計が、あるメーカーでは5万円である一方、別のメーカーでは30万円に設定されるのはなぜだろうか?

腕時計の歴史において、本当の意味で出来の悪い時計を見つけるのはかなり難しくなった。腕時計の基本的な技術は約500年をかけて徐々に洗練されてきており、人類は腕時計を作るのがとても上手くなった。したがって、この質問に対するシンプルな答えは信頼性が高く、耐久性があり、正確で、支払った金額に見合ったフィット感、仕上げ、性能を備えていれば、その時計はよい時計であるということである。しかし、なぜあるメーカーの時計が別のメーカーの時計よりも優れているとみなされているのかに焦点を当てると、この問題をより興味深いものにするだろう。

ここで改めて強調しておきたいのは、高級時計製造とは必ずしも優れた時計を作ることと同義ではなく、ましてや優れた時計やすばらしい時計はジュラ渓谷で隠遁生活を送る独立時計師が製作するオートオルロジュリー(haute horlogerie ‐ 超高級時計)の作品である必要もないということだ。例えば、セイコーは価格に見合った高い評価を得ており、オリスも同様にすばらしい価値をもつ時計を提供している。しかし、セイコーのアイスダイバーやオリスのビッグクラウン ポインターデイトは、ほぼ間違いなくよい時計だが(“ほぼ”というのは、時計愛好家が何かにつけて議論の種を見出すことを知っているからだ)、少なくとも伝統的な意味での高級時計製造の作品とみなす人はいないだろう。

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